合気道錬身会は養神館の塩田剛三先生の高弟千田務師範の指導する団体

  1. 合気道とは
  2. 千田務最高師範
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① 合気道養神館と合気道の近代史

現在合気道は諸派に分かれているが、合気道の源流として武田惣角先生の教えを残す「大東流合気柔術」があり、植芝盛平先生の弟子たちが独立して興した「合気道」として多く存在する。

中でも合気道養神館は1956年に植芝盛平先生の高弟であった塩田剛三先生が創設し、それ以前は曖昧であった基本の動きを体系化するなど、より多くの人が理解できるように創意工夫を重ね、合気道の普及発展に大きく貢献してきた。警視庁機動隊を始め警視庁婦人警官の必修課目にもなっており実戦合気道の総本山として武道界にその名をとどろかせている。

② 塩田剛三先生

達人と呼ばれた合気道家であり、曖昧であったそれまでの合気道の技法や理合いを明確にし、合気道の普及発展に大きく貢献した。

18歳の時、植芝道場を見学した際、植芝盛平先生に勝負を挑み完敗し、合気道の素晴らしさに惹かれ即日入門する。以後、約8年間植芝盛平先生のもとで修行に励んだ。終戦後、茨城県岩間に居を構えていた植芝盛平先生の下で、再び修行に励んだ。1961年には植芝盛平先生から当時最高位である九段の免状を受けている。

1956年に合気道養神館を設立し多くの弟子を育て上げた。小柄な体格ながらその技のキレ、集中力は凄まじく達人の名にふさわしい。また豪快かつユニークな人柄で多くの人を魅了してやまなかった。

③ 錬身会の使命と目的

合気道錬身会は塩田剛三先生の目指したものを受け継ぎ合気道を広く世に伝えることを目的として平成20年に設立された。最高師範である千田務先生は、故塩田剛三先生の元で昭和46年から内弟子として、最も長く養神館本部道場に在籍し、その技術と精神を色濃く受け継いでいる。特に晩年における塩田剛三先生の技の変化、無理がなくなりよりスムーズであり、かつ威力も衰えることがなかった部分を常に身近で見続け対応してきたことから、今ある技の成り立ちを最も深く理解する人物でもある。

平成6年に塩田剛三先生が逝去された後も、本部主席師範、平成16年6月からは、本部道場長として、退職(平成19年12月)するまで養神館道場を支えてきた。

千田務最高師範を中心に指導者の養成と合気道の普及振興を通じて人格形成、青少年の健全育成を図ることが合気道錬身会の使命である。

④ これからの錬身会

合気道錬身会は、日本の伝統文化である素晴らしい合気道を通じ、礼儀作法を身につけ心身共に健全な青少年の育成に努め、また、教育現場や企業研修、講習会、講演などを通じて、老若男女に広く愛し親しまれる武道の発展を目指している。